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星期日, 十一月 27, 2005
张藏藏石原靖太郎东京对话录
日中激突 「NO」と言えるのはどっちだ(対談/張蔵蔵・;石原慎太郎)
張 昨年五月に私は、四人の仲間と共に『ノーと言える中国』を、続いて今年春に続編『それでもノーと言える中国』を出版しました。前者は、今日までに中国 本土で海賊版を入れて二百万部、日本では十万部読まれています。これほど多くの読者に関心を持たれるのは予想外の展開だったのですが、反響は共感だけでは ありませんでした。中国人のナショナリズムを徒らに煽り立てる”反米・;反日の書”だという声が、日本やアメリカから届き、正直いって当惑しています。石 原先生も我々の本を「覇権主義を露呈した『独善』」と評していらっしゃいますしね。
しかし、そのような意図からこの本を出版したのではありません。ここ数年の国際情勢を目の当たりにした中国の若い世代の生の声を書き留めよう、そんな真 摯な姿勢が国内外で広く受け入れられたのではないかと考えています。そもそも我々は先生の『「NO」と言える日本』に触発されたところが大きいのです。
石原 私の『「NO」と言える日本』はアメリカに対して書いたものだけれど、私は今『中国に向かって「NO」と言える日本』というタイトルの本を書きたいと思っていますよ(笑〉。
張 私も出版を楽しみにしています。しかし、日本が「NO」と言えるなら、中国の側も「NO」と言えるのではないでしょうか。ただ、我々がノーというのは対立を求めるのではなく、平等な”対話”を求めているのです。
石原 この本を読む限り、あなたたちの考えには到底賛成できませんな。二冊の本のなかであなたたちは、たとえば「第二次大戦の賠償を放棄したのは間違い だった」「戦争中、中国で人権躁躙した日本が、中国の人権問題を語る資格があるのか」「日本を封じ込めろ」などと述べ、現在の日本という国家を根本的に認 めていないでしょう。だから「日本が何もしないことこそ、世界平和への貢献になる。国連の常任理事国になるくらいなら、アメリカに二議席与えたほうがまし だ」という、言い方になる。こうした言い方は、あなたたちのオリジナルなものではなく、きわめて紋切り型の批判としか思えない。日本人の中の一体誰が、こ んなことをいわれて許容できると思いますか。その紋切り型は現在のシナ政府の主張と本質全く変わらない。いまのシナ、厳密に言うと現在の共産シナの政治体 制が全く好きになれない私は、基本的に現政府の考えと重なる、またはそれを是認しているようなあなたたちの本には、ノーと言わざるをえないね。
張 中国の現在の政治体制がお好きでないようですが、それは好き嫌いの問題ですから私はなにも申し上げることはありません。ただ中国は非常に広くて、文明 的なところもあれば、文明的でないところもあります。中国人の中にも、聡明なところもありますが、非常に立ち遅れて、愚かなところもあります。ですから、 一括りにして言うのではなくて、こういうところはいけない、こういうところはいいと、具体的に挙げたほうがいいのではないかと思いますが。
石原 あなたは本のなかで「日本人にはもっと謙虚さが必要だ」といったことを書いていますが、私はその言葉をそっくりそのままシナにお返ししたいんです。 いまのシナは覇権主義をもって、新しいエンパイア(帝国)を拡張、維持させようとしている。これは周りの国にとって非常に迷惑な姿勢ですね。エンパイアの 最たるものは、あなた方の祖先がつくった「元」という、ユーラシア大陸の大部分を制覇したものだ。かつてはハプスブルク家のエンパイアもあったし、大英帝 国、最近では旧ソ連といったものがそうでしょう。それは民族や文化、宗教というものをまったく無視して、非常に強力な経済力と軍事力で強引にそれらを束ね る形で君臨した。あなたの国はこういった、もはや時代後れで歴史に逆行するようなことを今もやろうとしているわけですよ。
張 私は中国政府のスポークスマンでもありませんし、共産党員でもありません。中国政府とはまるっきり異なっている意見も持っています。ただ、中国の将来 に関心を持つ若い知識人として言いたいのは、サッチャー元首相が指摘したように、冷戦終結後、この世界には誰もエンパイア=帝国を築くことはできない。こ ういう国際政治の現実を、中国の政治家たちは分かっているはずだと思います。そんな大それた考えを持っている中国の政治家は、いないはずです。石原先生の 杞憂ですよ。
石原 そういうけど、現実を見なさいよ、現実を。台湾しかり、チベットしかり、南シナ海しかり。
張 具体的にどんな点ですか。
石原 例を挙げたら切りがない。『ノーと言える中国』でも続編でも触れているけど、台湾海峡がいまのシナを分断しているという考え方は一種の覇権主義で、台湾がシナに当然帰属するという前提に立つことでしょう。私はそれはナンセンスだと思う。
中国と台湾は同文同種か
張 それは納得できませんね。台湾が中国の領土であることは、国際的な共同認識になっています。私たち中国の文化人も、中国国民も、誰もが武力をもって台 湾問題を解決することを希望してはいません。ただ両者とも、やはり理知的でなければならないと思います。国と国が友好的な関係を保てなくてもいいですが、 ただお互いが平和的に暮らせる、そういう状態を守っていかなければなりません。中国の民主化運動の参加者たちも、中国政府をよく批判しています.しかし中 国の領土の保全=国防という点においては、違う立場をとる人間はいません。冷静に考えると、台湾と中国は同文同種同じ民族、同じ文化を持っている国です。 ですから、それは引き離すことはできないと思います。
石原 私はシナと台湾とは完全な同文同種とは思わない。話している言葉もぜんぜん違うし、教育の水準も文化的水準も違う.、相対的にはっきり違う国だと考 えています。歴史上、同じ民族で二つ国家をつくった国は、ドイツとオーストリアをはじめとしていくつかありますよ。パキスタンとバングラディシュだって、 同じ民族だけども、宗教が違うだけで互いに分離独立した。私たちにとっていちばんの関心は、いまの台湾に対するシナの姿勢です。先月行われた第十五回全国 人民代表大会でも江沢民が触れていたけど、これとこれとここは全部中国に属するんだという、そういう前提というのは、歴史的に通じない政治的アプリオリで す。それはアジアにとっても世界にとっても非常に迷惑なことですよ。
張 日本人は中国本土よりも台湾に”親しみ”を感じているようですね。それはきっと、台湾が日清戦争後の下関条約で日本に割譲された歴史があるからでしょ う。日本の支配に置かれた歴史が相当あったので、石原先生のようなシンパシーを抱いてしまう日本人がいるのは、ある意味で当然といえば当然だと思います。 確かに、台湾の文化と言語は、中国本土と少々違うということはいえますが、しかしだからといって、台湾が分離されたままでいいとは思えません。それにこの 問題は中国大陸と台湾との間で解決すべきで、他の国があれこれ口を挟む余地はないと考えます。
石原 両者の問題がアジア全体の安定にフリクション(衝突)をもたらすとしたら、我々にも発言する権利はあるでしょう。去年台湾で総統選挙が行われた。予 想どおり李登輝さんが当選しましたが、そのときシナは威嚇的なミサイルの射撃訓練を行った。しかも私が得た情報では、高雄と与那国島の沖の、彼らが指定し た地域よりも外れた形で、誤射という形でミサイルを一発ずつ威嚇で撃ち込むつもりでいた。アメリカはそれを察知したから、そんなことさせないと原子力空母 を二隻台湾海峡に差し向けた。それでびっくりした北京はアメリカと交渉して、私たちも誤射という形で指定した水域外のところに大きなミサイルを撃ち込むこ とをやめますから、こちらの顔を立ててインディペンデンスは台湾海峡に入らんでくださいというんで、航空母艦は海峡の数マイル手前のところで止まった。あ あした軍事的冒険主義は、あなたたち国民は知らされてないかもしれないが、北京政府はあちこちでやっている。台湾海峡に限らず南シナ海でもチベットでも、 北京政府の国家目標はあなたが考えているほど人間的でもないし、甘くはないんですよ。
張 南中国海の問題ですが、それについては私はこう考えます。中国は覇権は求めてなんかいないんです。しかしどの国でも、自国の領土に対する自分の主張を 出す権利はあります。そういう問題が起きたとき、平和的な方法でそれを解決するよう希望しています。台湾もチベットの問題も同様です。ずーっと昔からチ ベットは中国の領土になっています。ドイツとオーストリア、パキスタンとバングラディシュと同じ土俵で議論するものではありません。
石原 チベットは、ラマ教という宗教的アイデンティティに結ばれた一種の王国みたいなものだったんです。ヨーロッパでいうとバチカンのような存在だったん ですけどね。それをそのまま存続させればいいものを、民衆に圧倒的な人気のあったダライ・;ラマを追放し、軍事的、政治的に併合してしまった。これは非常 に野蛮なことだと思うな。彼らは独特の文化を持ち、あなたたちとは違う文明を持つ民族なんですからね。チベットはチベットとして立たしめるべきですよ。
「シナ」は侮蔑語か
張 いまお話を聞かせていただいて、大変気になったことがあります。石原先生は私の祖国をシナと言っていますが、私はこれは侮辱だと思います。
石原 ぜんぜん違う。そんなことない。張もしそういうことを言うならば、私は日本人に対して、倭人といいます。それは同じことじゃないですか。それ以上に、こういう侮辱を続けたいならば、私はきょうの対談はこれ以上続ける意味はないと思います。
石原 それで結構。何で日本人だけがチャイナのことをシナと、言っちゃいけないんですか。勘違いしている人が多いけど、これは差別語でも侮蔑語でもない。私がなぜ敢えて「シナ」と言うのか、せっかくの機会だから、シナの人にも日本の読者にも説明しておこう。
前の駐日大使の楊さんと話をすることがありましてね。私はずっと「シナ、シナ」と言ってきたんだけど、なんで日本人だけがシナと言っちゃいけないんです かと訊ねたんです。英語はチャイナでしょう、フランス語はシーヌでしょう、ドイツ語はチーヌでしょう、スペイン語はチノでしょう、なんで日本語が遥か昔か らあるシナという、言葉を使っちゃいけないのか。そしたら楊さんが言いました、ぜんぜん構いませんと。ただ漢字に当てはめて「支那」と書かれるのは困りま すと。あれはまったく意味のない当て字なので、非常に私たちにとって迷惑だし不愉快ですから、あれをやめてくれれば結構ですと言われた。あなた方はそれを 知らないだけの話で、私は侮蔑してるつもりは全くないし、シナというのは普通に使っていい言葉ですよ。
張 まず、シナという言葉に対してなぜ中国人が反感を持っているのか。日本は中国を侵略していたとき、ずっと「シナ」「シナ人ども」というような言葉を侮 蔑を込めて使っていた。中国人はその歴史の経験があるから、そこから屈辱を感じるわけです。戦後は、日本でも多くの方々が認識されて、だから今日、多くの 日本人は中国人のそういう気持ちを尊重して、我々を傷つけないように「シナ」という言葉は使わないようになったんです。
石原 それは違いますね。君らにいわれるまま従っただけだ。倭人とシナとでは言葉としてのカテゴリーが違いますよ。
張 ちょっと待ってください。中国人も同じように、日本人の意識を尊重しています。たとえば中国人の中でも、年寄りの人は「日本人」と呼ぶよりも、むしろ 「倭人」と呼んだほうがもっとすっきりするかもしれませんが、なぜ「倭人」という言葉を使わないのかといいますと、絶対多数のいまの日本人の感情を考えた 上で選択したものだと思いますこういう言葉の使い方について、石原先生のようなベテランの作家であり政治家でもあった人が、そんなつまらないところであま りよくない結果をまき起こすようなことをするのは、賢明ではないと私は思いますが。
たしかに楊大使はそうおっしゃったかもしれませんが、ただ私から見れば、これはあくまでも楊大使一個人の考えだと思います。私も含めて大部分の中国人 は、楊大使のような考えは持っていませんよ。石原先生のお話をうかがっていると、中国を一つにまとめるのではなく、分裂させたほうがいいというご主張のよ うですね。
石原 確かにその通りです。しかしそれは単なる個人レベルでの好き嫌いなんかじゃありません。私は十五年後くらいに、シナは六つぐらいの国に分裂すると考 えている。そのほうがよっぽどシナの人々は幸せになるし、世界もほっとしますよ,分裂を誘引するのは、いまの北京政府が軍事的冒険主義で失敗したときで しょう。その際アメリカがどれだけコミットするか予測できませんが、おそらく乗り出してこざるを得ないし、軍事的冒険主義が引き金となって、ちょうどソビ エトがいくつかの国に分裂して収まったみたいに、シナもいくつかの国に分かれると思う。そのほうがそれぞれの国や地域が発展していくのに、効率がいいと私 は思いますが。
張 中国が分裂したほうがよかろうと石原先生が願うのはよく分かります。たぶん日本とアメリカの国家的戦略にも合致するでしょうが、しかし良識のある中国 人、中国の指導者たちは、決してそんな状態が現実になることはさせないと思います。そんな状態にならないように努力するでしょう。もし先生のご希望なさっ ているような分裂状態が起きて、中国国内が直ちに内戦状態に陥れば、三流国家に陥ってしまいますから。
南京大虐殺の真相究明を
石原 さあ、そうとはいえないな。もうひとつ、あなたにお聞きしたいのは、いまの北京の政府が共産党の党官僚による独裁政権だということを、あなたは全く否定しないですよね。その実態についてどう考えていますか。
張 現在の中国政府が、独裁政権かどうか。私から見れば、いまの状態の下でこれから、二十年、三十年の間、中国共産党に代わって中国を指導して、近代化実 現の道を走る政党は出てこないと思います。中国共産党はさらに民主化、開放化の歩みを速めていくと思いますよ。党内には政治的な改革・;開放を求めている 良識のある人がたくさんいることは、事実です。彼らの手によって中国の将来はもっと好転していくでしょう。
石原 本当にそう考えているの、信じられないね。シナの普通の人びとがあなたと同じ考えだとはまったく思えないな。
張 日本人が中国政府にあれこれ言いたいことがあるように、我々にも日本政府に言いたいことがあります。中国の国家経済体制改革委員会傘下のある研究所が 今年のはじめ発表した調査によると、最も嫌いな国の第一位が日本(四七%)なんです。なぜこれほど多くの人が日本に好ましくない感情を持っているのか。日 本は五十余年前の過去の歴史に対して、深く反省していないからです。しかも反省すべきときに、一部政治家の発言、行動によって、その機会を逃してしまいま した。やはり日本の政治システムが、ばかげた政治家をつくり出してしまっているからではないでしょうか。
石原 ばかげた政治家って一体何ですか、それは。
張 日本の政治家の中には中国と日本の歴史に関して、懲りもせずばかげた発言をする人間がいます。そしてその人がかつての侵略を正当化するような問題発言 をすると、政府首脳が出てきてお詫びする。そしてしばらくしてから、また誰かが同じようなばかげた発言をする。そして次にまた誰か偉い人が出てきてお詫び する。その繰り返しじゃないですか。たとえば南京大虐殺の問題ですが、石原先生は南京大虐殺というのは存在しないと発言されてますね。
石原 あれはばかげた発言ですか、あなたからみると。
張 そう言えるでしょう。たしかに実際の死傷者の数など、確定するのが難しいところがあるかもしれません。しかし一般市民を大量に殺したことが事実かどう か、これを見つめなければなりません。この行為がアジアの植民地を解放することとどういう関係があったのでしょうか。日本に来て私が非常に感心したのは、 広島の原子爆弾の死傷者に関して、その調査が非常に綿密に行なわれていることです。中国政府は南京大虐殺の死傷者に関する調査をいままで丁寧にやらなかっ た。ですから、日本の政治家にいろいろと口実を提供してしまったんです。私が中国に帰って、まず最初にやりたいことは、たとえ中国政府がやらなくても、民 間人を動員してでも、この南京大虐殺の実際の死傷者の数を調べたいと思います。三十万人なのか、三十万人以上なのか、あるいは三十万人以下なのか。
石原 あるいは一万人か、二万人かもしれない。やはり、大事なのは数なんですよ。私は日本軍があそこで一般市民を一人も殺さなかったなんて言っていませ ん。たぶん一、二万殺しただろうというのはいろんな資料で裏打ちされている。問題は、日本人があそこでナチスのホロコーストのような行為をやったのか、や らなかったのかなんです。三十万人という数が一種の政治的プロパガンダとして利用されているのが、おかしいと私は言っているんですよ。
あなたの話を聞いていると、言論統制された戦争中の日本のインテリと同じで、ほんとに気の毒だと思う。限られた情報と与えられた知識を根拠にものを言っ ていて、つまりそれは全部現政府が与えているものだ。あなたがたとえば、いまの北京の政府の真意とか政策を糺そうと思っても、確かな情報を得られはしない でしょう。そういう言論と情報を統制された社会でものを言う知識人というのはつくづくかわいそうだと思う。十五年後、はたしてシナが六つか五つの分裂国家 になっているか-私はそのほうが幸せだと思うけれども-あるいは日本がシナの属国になっているか。あるいは、かつてナポレオンはシナは眠れる獅子だと言っ たけれども、いまの世界で、眠れる獅子は日本なんですよ。この日本が目を覚まして、強固な防衛軍事国家になっているか、これはまだ分からないけれど、あな たはその頃生きているだろうから、その結果を見たらいいことだと思う。
張 たしかに私が得られた情報の中には、管制されたところもあります。しかし、いまの中国の状況は、もし中国に行かれたことがあるならば理解されているは ずですが、インターネットもありますし、香港からの情報も努力すれば入手することもできます。西側の人にくらべて大きく劣ることはありません。
石原 真相に近い情報にどこまでアクセスできるか疑問だね。しかしあなたも政府に働きかけて、我々と一緒に日本軍が南京でいったい何人の人を殺したのか、 調べようじゃないですか。シナにはありませんが、日本にはきちっとした軍の資料もまだまだ残っています。二十万人しか人口がいないといわれた町で、なぜ三 十万人殺されたことになるのか、互いの名誉のためにちゃんとした結論を出さないといけませんな。
張 南京大虐殺に関しては、死傷者の数のほかに、当時の日本軍の残虐性の問題があります。日本軍はゲリラと一般市民をきちんと見分けることができなかった という日本側の議論があるようですが、実際にいま残っている写真なんか見ると、日本軍が銃剣で嬰児などを刺し殺して、つるし上げているものがあります。そ の嬰児がゲリラのメンバーということはないだろうと思いますが、四十二日間で三十万人を殺せるかどうかは、私から見れば、条件さえ揃えば、二、三日でも可 能だと思います。当時の日本軍は狂熱状態にありましたから。三十万人殺したのか、あるいは三万人殺したのか、そこに大した区別はありませんよ。一日も早 く、調査委員会を作りたいですね。私たちの後の世代にはこれ以上の齟齬や軋轢は残したくありませんから。
覇権主義捨てぬ北京政府
石原 その点は賛成だね。それで、今後の話をしましょう。張さんは、シナがいま一生懸命水爆をつくってるのはご存じですよね。なぜあんな物騒なものを作っているんですか。
張 水爆を作っているのは、最近のことではなくて、もうとっくの前からです。
石原 ですから、冷戦時代から今日に至るまで、ずっと作っているわけですよね。それを運ぶためにSS18という、ロシアが使わなくなった大陸間弾道弾を買 い入れたらしいじゃないですか。これはアメリカの未確認情報ですけど。いずれにしろ、かつてポンピドーが訪中したときに、毛沢東が、戦争になったら私たち は水爆の使用を辞さないと言った。それでポンピドーがそれはえらいことになりますよと応えたら、シナは人口が多いから、三千万人ぐらい死んだって構わない んだと、言って、ポンピドーが腰抜かしちゃったという挿話がある。
私はそういう半分気が狂っちゃった毛沢東の思考のエッセンスと伝統が、いまだに共産党政権に残っていると思う。これはなにもシナの共産党政権に限らないけど、どの国でも共産党の政権というのは同じ特質を持つんですよ。
張 それは、先生の共産党政権に対する偏見ではないですか。
石原 いや、この特質は歴史的に見て十分一般化できることです。その第一は、自分の政権に脅威を感じたときには、平気でどんな大きな嘘でもつく。たとえば われわれは覇権を求めないなんていうのは典型的な嘘だ。今日、東南アジアのどの国がそんなたわ言を信じると思うの。第二は、政治的な独裁が危なくなってく ると、平気でどんなことでもする。その典型的な例が、しなくていい戦争に国民を駆り立てる。ベトナムとの戦争であったり、ソ連との紛争であったり、毛沢東 の自己保身のための文化大革命とか。あれでシナの発展は二十年ぐらい遅れたと思いますな。それから第三は、正当な法的手続きを無視する。いろんな例があり ますが、たとえば日中共同声明とか、その後の友好条約締結のときには戦後処理については触れないと、賠償の問題も触れないと言っていながら、あとになって なし崩し的に戦争の責任がどうだとかああだとか言ってきて、最近では、日本の経済援助は賠償性があるなんていうことを言い出している。あなたも同じことを 書いているけど、とんでもない話だ。
第四は、いまのシナの実権を握っているのは、全部強硬派の官僚です。もちろん対日米のビジネスの世界では、理性的で優れたシナの人もお国にはたくさんい ますよ。しかし彼らには決定権がない。しかも力のある強硬派の連中は堕落して、賄賂が横行している。こんな政権はどこの国にとっても好ましくないし、まず あなたたち国民が迷惑しているんじゃないですか。
張 私は、自分の小説と詩の中で、中国の現状を批判しています。しかし、知識人として、良識のある市民として、最も追求すべきなのは人類の共通の価値であ ると考えます。日中国交正常化のときは、周恩来と当時の田中角栄首相が、歴史的観点に立って前向きの姿勢をとったと思います。ですから敢えて、戦争責任と か賠償の問題などについて掘り下げて話し合いをしなかったんですが、私は、これはやはり間違いだったと思います。当時それには触れるべきだったと。実際に 日本に対する戦争賠償を放棄したことは、やはりよくないと思います。中国は放棄すべきではなかったんです。
いまこれを言い出すのは、日本に賠償しろという意味ではありません。当時の中国があまりにも度量が大きすぎたから、今日のような問題の火種を残してしまったんです。ですから私から見れば、日本の経済援助は、現実的にはやはり賠償の性質を帯びているものだと思いますよ。
中国は富国強兵を目指すのか
石原 張さん、あなたは仕方なくも無知であり、大きな間違いをしてますが、国際法というものがあるんですよ。シナと日本の賠償の問題について言いますと、 サンフランシスコ講話条約が締結されたとき、あのときのシナの政権は蒋介石の国民党政権だった。日本がいろんな社会資本も残したということを評価したかど うか知りませんが、いずれにしろ、彼らは一切の賠償を求めないと言った。そこで締結された二国間の協定というものは、政権が替わったからってにわかに変わ るわけじゃありません。日中友好条約が締結されたときに賠償問題に触れなかったのは、シナが非常に度量があったからではなくて、それは周恩来という人物は 国際人で、国際法をよく知っているから要求しなかったわけです。それから当時はソビエトの脅威が非常に大きかったので、北京の共産党政権はとにかく日本な りアメリカを自分の味方に取り込もうと思って、それに汲々としていたから賠償なんか持ち出せなかった。それがことの真実ですよ。シナの度量が大きかったか らなんて、そんなのは国際条約も国際法も無視した非常識な話ですね。むしろ日本がノーの声を上げるべき類のものだと思いますよ。
張 先生のお考えはわかりました。しかし、私も今回の対談を通して、先生がどんなに偏った人間であるか、どんなに歴史の流れを無視しているか、よく理解で きました。歴史の流れなどを見て、石原先生はこれから変わるかもしれません。もちろん変わらない可能性の方がもっと高いでしょうが、私はやはり変わること を期待します。中日関係について.言いますと、私は、やはり中国は富国強兵の道を断固として歩まなければならないという意を強くしました。先生は、アメリ カの兵器は日本の先端技術を装備している、だからアメリカ軍はこれほど高い戦闘力を持ち、湾岸戦争でも勝利できたんだと書かれていましたが、中国は他国の 技術など当てにしなくても自らの国を守る努力をしなければなりませんね。こういうことを肝に銘じて、中国の将来を築いていこうと思いました。
石原 きょうはほとんど平行線だったと思うけど、最後にあなたがシナは富国強兵を進めるべきだと言ったことに対して、私はまったく反対です。それは世界に とって、アジア全体にとって迷惑なことだ。もちろん、シナの国民にとってもこんな迷惑なことはないとは思いますけど、それが分かるまでにはだいぶ時間がか かるでしょう。それまでには、もっともっとシナ自身が社会的に成熟しないと、共産党の独裁政権というものが犯している歴史的な誤りに気がつくにはだいぶ時 間がかかりそうですね。まあしかし、張さんは若いんだから、これから十年か、十五年か、二十年経ったときに、あ、やっぱりこうなったな、石原の言ったこと もそう間違いじゃなかったんだと気づくことを私は祈っています。それはあなたのためだけではなく、日本とシナの友好関係のためになることだからね。
張 たぶん正しいのは私だと、歴史は証明すると思いますけどね(笑)。
(『文藝春秋』一九九七年二月号より再録)
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软件翻译:
日中对话激烈冲突说“不”(张藏藏/石原慎太郎)
张:去年五月我与四个朋友一起写了《中国可以说不》,今年春出版了《中国可以说不》续集。前一本到今天为止在中国连盗版总共发行了200万册,在日本发行 了十万册。在读者中取得这样的反响是出乎意料的。但是反响不仅仅是赞同。称这本书是代表“中国民族主义反美反日”的,从日本到美国,都不绝于耳。石原老师 也批评我们的书“暴露了霸权主义的‘自以为是’”。
但这不是我们出版这本书的意图。我们是想以这几年的国际形势为背景,表达中国年轻一代的心声。这样真诚的姿态是被国内外广泛接受了的。可以说受了老师《日本可以说不》的很大影响。
石原: 我的《日本可以说不》是写给美国人看的,,不过,现在我想写一本面向中国的《日本可以说不》(笑)。
张:我也期待着这本书的出版。但是,如果日本可以说“不”,中国一方也不是也可以说“不”吗?我们不是寻求对立,而只是要求平等对话。
石原:只要是读了这本书,谁都不可能接受你们的想法。在这两本书中你们的观点,比如“放弃二战战争赔偿是个错误”、“战争中践踏了中国人权的日本没有资格 指责中国的人权问题”、叙述「封入日本」等,没根本地认可现在的日本这个国家吧。因此「正是日本完全不做的事,成为对世界和平的贡献。要是成为联合国的常 任理事国的,变成所说的给(对)美国二议席给予了好(强)些」,说法。这样的说法,不是你们的独创的东西,极为只能认为是刻板文章的批判。想日本人中的一 体谁,被说这样的事能容许?那个刻板文章与现在的支那政府的主张本质完全不变化。现在的支那,严密说的话现在的共产支那的政治体制完全不喜欢习惯的我,基 本地与现实政府的考虑重叠,或对象同意着那个一样的你们的书,不得不说没有。
张:中国的现在的政治体制好象不喜欢,不过,那个是好恶的问题我完全没有说。只有中国非常宽广,既有文明性的地方,又有不文明性的地方。中国人中,也有聪 明的地方,不过,非常动身晚,也有愚蠢的地方。因此,要一捆不是说,这样的地方想最好是不成,这样的地方好,具体地举出(举行)不是的吗。
石原:你在写在书中「对于日本人更需要谦虚」,不过,我想那个言词一模一样地就那样支那回礼。现在的支那有霸权主义,扩张新的Empire(帝国),打算 使之维持。这是对周围的国家来说非常为难的姿势。Empire的最甚的东西,所说的你方面的祖先制作了的「原来」,欧亚大陆的大部分称霸了。以前 Habsburg家的Empire也有,大英帝国,最近旧苏联是那样吧。那个民族和文化,以包与完全宗教无视,非常强有力的经济力用军力强行那些的形式君 临了。你的国家这样的,现在也应该打算做已经落后于时代的历史象逆行一样的事哟。
张:我中国政府的发言人也没有,共产党员也没有。与中国政府完全不同的意见也持(有)着。只是,想作为对中国的将来有关心的年轻的知识人说的,不能象撒切 尔原首相指出了一样地,冷战终结后,这个世界谁都构筑Empire=帝国。我认为这样的国际政治的现实,中国的政治家们应该明白。有那样的狂妄的考虑的中 国的政治家,不会在。是石原老师的杞忧哟。
石原:那样说,不过,请看现实哟,现实。台湾责备,西藏责备,南海责备。
张:具体性地是怎样的点?如果举了
石原:例子没有终结。『可以说是没有的中国』续编也传达,不过,台湾海峡分割着现在的支那这样的想法是一种霸权主义,在台湾支那当然归属这样的前提里(上)是立吧。我想那个无意义。
中国和台湾同文同类吗
张:那(样)不能理解。台湾中国的领土,成为国际的共同认识。没希望以我们中国的文化人,中国国民,也谁都武力解决台湾问题的事。我想只有两者一起,必须 还是理智性。国家和国家不能保持友好性的关系,不过,只有彼此必须保持能和平性地生活,那样的状态。中国的民主化运动的参加者们,也很好地批评着中国政 府.可是在中国的领土的保全=国防这个点中,坚持不同的立场的人不在。冷静考虑的话,台湾和中国是有同文同类同样的民族,同样的文化的国家。因此,那个想 不能拉开。
石原:我所谓台湾完全的同文同类不认为支那。说的言词也全然不对,教育的水准和文化的水准都不对.认为是,当面性地清楚地不同的国家。历史上,同样的民族 建立了二个国家的国家,有以德国和奥地利为首几个哟。与巴基斯坦即使banguradishu也,是同样的民族,不过,宗教只是不对互相分离独立。对我们 来说一号的关心,是对现在的台湾的支那的姿势。是据说上月被进行了的第十五次全国人民代表大会江泽民也传达,不过,这个和这个和这里全部属于中国,那样的 所谓前提,不历史性地通的政治的演绎。那是对亚洲来说也对世界来说也非常为难的事哟。��主化运动的参加者们,也很好地批评着中国政府.可是在中国的领土 的保全=国防这个点中,坚持不同的立场的人不在。冷静考虑的话,台湾和中国是有同文同类同样的民族,同样的文化的国家。因此,那个想不能拉开。
张:好象感到日本人比中国本土台湾”亲密”都。那个一定,有台湾用甲午战争后的下关条约被日本割让了的历史吧。我想因为日本的支配相当有被放置了的历史, 抱了象石原老师一样的同情的日本人在,如果在某种意义上当然说当然。确实,台湾的文化和语言,与中国本土稍稍所谓不同能说,不过,虽说是做,台湾被分离了 好不认为。而且这个问题认为没有在跟中国大陆和台湾的间应该解决,其他的国家这个那个夹口的余地。
石原:有如果两者的问题到亚洲全体的稳定带来摩擦(矛盾),我们也发言的权利吧。去年在台湾总统选举被进行了。如所预料李登辉先生当选了,不过,那个时候 支那进行了威吓性的导弹的射击训练。而且我得到了的信息,以高雄和与那国岛的海上的,他们指定了的地域脱离了的形式都,以误射这个形式打算各一发由于威吓 打进导弹在。美国察觉了那个,那样的事不使之要向(以)二艘台湾海峡派遣了原子能航空母舰。因此很吃惊的北京与美国谈判,我们由于误射这个形式也中止向 (以)指定了的水域外的地方打进大的导弹的事,说给这边面子Independence不进入到台湾海峡请出,航空母舰在海峡的数英里跟前的地方停了。那样 的军事的冒险主义,你们国民知们说不定不被做,不过,北京政府在这儿那儿搞着。不仅台湾海峡南海也西藏也,北京政府的国家目标没有你考虑的那样有人情味 也,不很甜哟。
张:是中天国海的问题,不过,关于那个我这样考虑。中国霸权寻求之类不需要。可是有哪个国家,也显出对本国的领土的自己的主张的权利。那样的问题起来了的 时候,希望着用和平性的方法解决那个。台湾西藏的问题也同样。与zu—从很早以前西藏成为中国的领土。德国和奥地利,巴基斯坦和不是用与 banguradishu同样的相扑场议论的东西。
石原:西藏,被喇嘛教这个宗教的认同系结了的一种王国那样的。在欧洲说的话是象梵帝冈一样的存在,不过。在那个就那样使之继续存在放逐就行了的东西,对民 众压倒性的受欢迎的darai·;美洲驼,军事的,政治地合并了。别想这是非常野蛮的事。是他们有独特的文化,有与你们不同的文明的民族。西藏作为西藏应 该使之处于哟。
「Shina」(「支那」)侮蔑语吗
张:承蒙 现在给听话,严重在意过。石原老师把我的祖国称为着支那,不过,我想这是侮辱。
石原:全然不同。那样的事没有。
张:如果说那样的事,我对日本人,就叫倭人。那不是同样的事吗?想对那个以上,如果继续这样的侮辱,我今天的会谈就想没有这个以上继续的意义。
石原:在 那(样)结构。为什么只日本人说中国的事支那,不成?误解的人多,不过,差异语也侮蔑语也没有这个。我为何硬要说「支那」,因为是好不容易的机会,支那的人和向日本的读者都预先说明。
有与前面的驻日大使杨先生说话。我是询问是一直说了「支那,支那」,不过,为什么只日本人说支那不成的。英语是中国,法语是shinu,德语是 chinu,西班牙语是chino,为什么日语从很久以前使用所说的有的支那,言词不成?如果so做了杨先生说了,全然不介意。只有适用汉字被写「支那」 感到为难。那个被说了因为是完全意义没有的借用字,非常对我们来说为难如果不愉快,中止那个漂亮。你方面用不只知道那个话,我完全没有打算侮蔑,是可以所 谓支那普通使用的言词哟。
张:首先,对支那这个言词为何中国人有着反感?日本侵略中国的时候,注入侮蔑使用着所说的一直象「支那」「支那人do也」一样的言词。中国人应该有那个历 史的经验,从那里感到屈辱。战后,是象日本多的各位也被认识,因此今天,多的日本人尊重中国人的那样的心情,不弄伤我们一样地「支那」的言词不使用了的。
石原:那(样)不对。只是被你们说的着跟随。与支那作为言词的范畴与倭人不同哟。
张:请 稍等。象中国人也同样一样地,尊重着日本人的意识。譬如中国人的尤其,老人的人说不定比招呼「日本人」,倒不如招呼了「倭人」都更流畅地做,不过,我想关 于认为认为绝对多数的现在的日本人的感情说为何不使用「倭人」的言词,之后选择了的这样的言词的用法,是象石原老师一样的老手的作家做象掀起政治家有的 人,在那样的无聊的地方也不容易多余的结果一样的事,不贤明。
确实杨大使说不定那样说了,不过,如果只有从我看,这个想彻底也是杨大使个人的考虑。我也包含大部分的中国人,象杨大使一样的考虑没持(有)哟。最好是好象请教着石原老师的话的话,一个不是归结中国,使之分裂了这样的主张的。
石原:确实是那个那样。可是那个不是在单纯的个人水平的好恶之类。我对十五年后左右,支那认为六个左右的国家分裂。那个一方相当支那的人们变得幸福,引诱 世界也放心做哟,分裂,是现在的北京政府用军事的冒险主义失败了的时候吧。那个时候美国是不是多少约定做不能预测,不过,我想恐怕不得不挺出,军事的冒险 主义成为扳机,正好苏维埃几个国家分裂好象平息了,支那也分成几个国家。我想那个一方各自的国家和地域发展,效率好。作家做象掀起政治家有的人,在那样的 无聊的地方也不容易多余的结果一样的事,不贤明。
张:石原老师请求最好是 中国分裂很明白。大概日本和美国的国家的战略也符合,不过,可是有明智的中国人,中国的领导人们,想绝对那样的状态成为现实的事不使之做。为那样的状态象 不成一样地努力吧。如果发生老师的希望象做着一样的分裂状态,中国国内立刻陷入为内战状态,陷入了到三流国家。
南京大虐杀的真相查明
石原: ,那样不能说。你完全不否定想再一个,你听的,现在的北京的政府是由于共产党的党官僚的独裁政权这样的事,哟。关于那个实际状态怎样考虑?
张:现在的中国政府,是不是独裁政权。我想如果从我看,在现在的状态下从现在起,二十年,三十年之间,中国共产党替换指导中国,穿过近代化实现的道的政党 不出来。中国共产党想更加民主化,加快开放化的行走哟。有从党内寻求政治的改革·;开放的明智的人有很多的事,是事实。根据他们的手中国的将来更好转吧。
石原:真的那样考虑,无法相信。与支那普通的人bi是与你同样的考虑完全不认为。
张:象有 日本人想对中国政府这个那个说的事一样地,我们也有想对日本政府说的事。根据有中国的国家经济体制改革委员会旗下的研究所今年开始发表了的调查,最讨厌的 国家的第一位是日本(四七%)。为何没有这个样许多人对日本有着可喜的感情?日本对五十多年前的过去的历史,没深深地反省。而且应该反省时候,根据一部政 治家的发言,行动,放跑了那个机会。还是日本的政治系统,不是做出了愚蠢的政治家吗?
石原 愚蠢的政治家到底是什么,那个呢。
张:日本的政治家的其中有关中国和日本的历史,不想再做也不做做愚蠢的发言的人在。并且那个人做象正当化做以前的侵略一样的问题发言的话,政府首脑出来道 歉做。并且暂且做,再之后谁做象同样一样的愚蠢的发言。并且其次又谁伟大的人出来道歉做。不是那个反复吗?譬如是南京大虐杀的问题,不过,石原老师被发言 所谓南京大虐杀不存在。
石原:那个是愚蠢的发言,从你来看。
张:那样能说吧。说不定有确实实际的死者和伤者的数等,确定难的地方。可是向(以)大量杀了普通市民的事是不是事实,必须凝视这个。是和这个行为解放亚洲 的殖民地的事有怎样的关系的?来日本我非常感到佩服了的,有关广岛的原子弹的死者和伤者,那个调查非常被绵密是进行。中国政府到现在没谨慎认真地搞有关南 京大虐杀的死者和伤者的调查。是因此,向日本的政治家这个那个地提供了借口的。我想我返回中国,想首先在最初时做的事,即使中国政府即使不搞,也调查动员 民间人士,这个南京大虐杀的实际的死者和伤者的数。是是三十万人,还是是三十万人以上,或是是三十万人以下吗?
石原:有的在说不定一万人或者,二万人。还是,重要的是数哟。我日本军在那里一人也没杀死之类普通市民没说。说大概一,二万杀了是各种各样的资料被保证。 问题,日本人在那里是是做的,还是没做象Nazis的holocaust一样的行为。我说着三十万人的数作为一种政治的宣传被利用,可笑哟。
我与听着你的话的话,被言论统一的战争中的日本的知识分子同样,想真的可怜。把被给予的知识做为根据把东西称为着被限定了的信息,堵塞那个全部现实政府 给予。你想譬如,追究现在的北京的政府的本意啦政策,能得到确实的信息也不做吧。我想在被统一了那样的言论和信息的社会说东西的所谓知识人仔细可怜。十五 年后,到底支那六个或者成为五个分裂国家-我想那个一方幸福,不过-或是日本成为支那的附属国吗?或是,以前拿破仑说了支那是睡狮,不过,在现在的世界, 睡狮是日本哟。我想这个日本是不是弄醒眼,成为坚固的防卫军事国家,还不明白这个,不过,你那个时候生活着,看那个结果是就好了事。
张:也有 确实我能得到了的信息的其中,被管制了的地方。可是,现在的中国的状况,应该如果能去了中国就被理解,不过,也有互联网,也能如果努力得到来自香港的信息也。没有比西侧的人很大地劣。
石原:对靠近 真相的信息到哪里能访问是疑问。是可是你也推动政府,与我们一起日本军用南京到底杀多少人的人的,还是不是调查样子?支那没有,不过,好好地下面军的资料 还也残留着在日本。不能行一般认为在只有二十万人人口在的城市,为何要(会)被杀了三十万人,为了彼此的名誉的不作出规范的结论。
张:有关 南京大虐杀,除了死者和伤者的数以外,有当时的日本军的残酷性的问题。日本军好象有不能与游击队好好地识别普通市民这样的日本方面的议论,不过,有实际现 在留下的照片之类看的话,日本军用枪和剑刺杀婴儿等,吊起来的东西。那个婴儿游击队的所谓成员想变得风平浪静,不过,我想是不是四十二天能杀三十万人,如 果从我看,只要条件统一,二,三日可能。当时的日本军在狂热状态上有。是是是杀,或是三十万人的还是杀三万人的,对那里没有了不起的区别哟。尽快,制作想 调查委员会。我们的将来费这个以上的龃龉和不和不想留下。
霸权主义不扔掉的北京政府
石原:那个点是赞成。因此,说今后的话吧。张先生,支那现在拼命制作氢弹知道哟。为何制作着那样的骚然不安的东西?
张:制作 氢弹,不是最近的事,已经从老早前开始。
石原:应该是 ,从冷战时代开始及至今天,一直做(制作)哟。为了引导那个好象买进了SS18,俄罗斯不使用了的大陆间弹道导弹吗?这是美国的未确认信息,不过。总之, 如果以前蓬皮杜访华了的时候,毛泽东,变成了为战争我们说了氢弹的使用不辞。因此有说如果响应蓬皮杜那个成为伟大的事哟,支那人口多,三千万人左右死了不 介意,蓬皮杜瘫痪做了这样的插曲。
我想那样的一半发疯了的毛泽东的思考的本质和传统,至今还共产党政权留有着。这个完全不只限于支那的共产党政权,不过,哪个国家也共产党的所谓政权有同样的特质哟。
张:那(样),不是对老师的共产党政权的偏见吗?
石原: 在,这个特质历史性地看充分地能是一般化。那个第一,对自己的政权觉得威胁的时候,不在乎无论怎样的大的谎言附有。譬如我们是不寻求之类霸权说典型性的谎 言。想今天,东南亚的哪个国家相信亏损劈刀wa言。第二,政治的独裁变得危险起来的话,不在乎无论怎样的事做。到那个典型性的例子,不做好的战争迫使国 民。是跟越南的战争,是跟苏联的纠纷,为了毛泽东的自我保身的文化大革命啦?别想由于那个支那的发展二十年左右落后了。然后第三,无视正当的法律上的手 续。有各种各样的例子,不过,一边说着譬如战后关于处理不触犯日中共同声明啦,此后的友好条约缔结的时候,赔偿的问题也不触犯,到后边一边做破掉性地战争 的责任是怎样的是那样的说,最近,日本的经济援助说出着赔偿性有之类说的事。在写你也同样的事,不过,是哪里的话的话。
第四,掌握现在的支那的实权,全部是强硬派的官僚。当然在对日美的商务的世界,理智性出色的支那的人家乡也有很多哟。可是对于他们没有决定权。而且有力量的强硬派的伙伴堕落,贿赂横行着。这样的政权对哪里的国家来说也不可喜,首先你们国民不是麻烦着?
张:我,在自己的小说和诗中,批评着中国的现状。可是,认为作为知识人,作为有明智的市民,最应该追求的是人类共同的价值。我想日中邦交正常化的时候,周 恩来和当时的田中角荣首相,立在历史的观点采取了积极的姿势。因此并非一定要,关于战争责任啦赔偿的问题等往下挖做协商,不过,我,想这还是是错儿。当时 应该触及那个。我想实际放弃了对日本的战争赔偿的事,还是不好。中国不应该放弃。
不是所说的现在说出这个,日本赔偿的意义。当时的中国太度量大,残留了象今天一样的问题的火种。因此想如果从我看,日本的经济援助,现实还是带有赔偿的 性质哟。�的世界,理智性出色的支那的人家乡也有很多哟。可是对于他们没有决定权。而且有力量的强硬派的伙伴堕落,贿赂横行着。这样的政权对哪里的国家来 说也不可喜,首先你们国民不是麻烦着?
中国以富国强兵作为目标吗
石原:张先生,你没办法也无知,做着大的错儿,不过,有国际法哟。关于日本的赔偿的问题叫支那的话,圣弗兰西斯科讲演条约被签订了的时候,那个时候的支那 的政权是蒋介石头的国民党政权。是不是评价了日本各种各样的社会资本也剩下了这样的事不知道,不过,总之,他们说了不寻求一切的赔偿。在那里被签订了的二 国间的协定,不是政权替换了应该即兴滑稽小剧变。日中友好条约被签订了的时候为赔偿问题没能触,非常不是有支那度量,那周恩来这个人物国际人士,应该很好 地知道国际法没要求。然后当时因为苏维埃的威胁非常大,北京的共产党政权不管怎样一日本想自己的伙伴拿进来美国,而且汲汲赔偿之类就没能拿出去。那个事真 实哟。支那的度量大多么,那样的是国际条约和国际法都无视了的非常识的话。想是倒不如日本应该提高没有的声音类的东西哟。
张:明白了 老师的考虑。可是,我也通过此次的会谈,老师怎么是偏颇了的人,怎么无视着历史的流动,很好地理解完成了。看历史的流动等,石原老师说不定从现在起更换。 当然不变的可能性更高(贵),不过,我期待还是变的事。关于中日关系.说的话,我,很强还是中国必须坚决富国强兵的道走这样的意。老师,美国的兵器装备着 日本尖端技术,因此美国军这个样有高(贵)的战斗力,被写是海港湾的沿岸战争也胜利完成的,不过,中国必须做即使不要他国的技术等目的也保护自己的国家的 努力。我想在肝里(上)铭记这样的事,建立中国的将来。
石原:今天对想几乎是并行线,不过,你支那应该提升富国强兵到最后,我完全相反。那对世界来说,是对亚洲全体来说为难的事。当然,对支那的国民来说这样的 为难的事没有也认为,不过,那个明白之前相当花费时间吧。那个之前,不更更支那自己社会地变成熟,对共产党的独裁政权侵袭着的历史性的错误要注意到相当快 要花费时间了。我祈祷这个以外做,张先生年轻,从现在起是十年,还是十五年,二十年过去了的时候,注意到a,还是变成了这样,石原说了的事也那样不是错儿 的事。因为那不仅仅是因为你,日本和对支那的友好关系是有好处。
张:想 大概正确的是我,历史证明,不过喂(笑)。
(『文艺春秋』一九九七年二月号再次录音)
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郑若思“爱国贼的害国主义”摘录:
......
要 回答前一个问题,可以看看我们的“爱国英雄”和日本的“爱国英雄”面对面时怎样一副松包模样。当代中国“爱国主义”的领军人物、《中国可以说不》的作者 之一张藏藏曾于九六年跑到日本为他这本大作的日译本作宣传,日方为扩大效果(不知是不是要为“中国威胁论”找到实据),邀请张藏藏到电视台和日本铁杆右翼 石原慎太郎对谈,在书中痛斥日本军国主义、还动不动扬言“不要害怕打仗”的那位张勇士,见到石原,一口一句“我早就知道你是一名著名的作家”、“久仰你弟 弟是著名的大影星”(张不知道石原裕次郎也是一个充满右翼思想的人)之类讨对方欢心的恭维话,当石原以“支那人”称呼中国人时,张勇士先是说“你再说一遍 支那人我就离开这里”,似乎很有英雄气概,但是在石原连呼几次“支那人!”之后,张勇士直到节目结束都没有离开演播室,看来很舍不得放弃这次出镜机会,节 目自始至终让石原占尽上风,张勇士张口结舌,只有招架之功,没有还手之力,(另有日本的华人记者采访现场,记录了整个经过,与电视台放映的版本基本一致, 显然张藏藏的表现不是日方故意剪辑出来的)。张勇士不仅让原先以为中国爱国英雄如何了得的日本右翼传为笑柄,也让我等在日本的华人痛心不已。按今天爱国众 将的标准,张勇士在鬼子面前丢尽了中国人的脸面,连我等常被骂作汉奸的人都看不下去,他是否该受到比赵薇更加严厉的处罚?张勇士在一个非武装的右翼分子面 前尚是如此表现,假如他早生五十年,真到了国难当头的抗日战场上,会比他在日本电视台表现更出色吗?张勇士无意间倒是论证了红太阳的一句名言,套用过来就 是“一切爱国贼都是纸老虎”。遗憾的是,张勇士在日本的真实表现没有被国内媒体报道,某些华文媒体反倒隐去了他在石原面前那副先是卖乖讨好,后是理屈词穷 的落水狗模样,把他包装成敢和日本右翼舌战的爱国英雄,至今还在以“敢于说不”的资源左右逢源,这种文过饰非,比赵薇及其经纪人的做法恶劣岂止百倍?如果 说赵薇的“无心之失”还可得到某种程度的原谅,再善良宽容的人也难以认为张藏藏是“无心之失”吧?放在今天,爱国同志会不会按对付赵薇的做法,从张勇士的 前三代中查出有汪伪政权的汉奸或是特高课的特务,要子孙后代一起长期潜伏,为中国威胁论造势,再寻找机会在日本右翼面前出尽中国人的洋相?
http://members.ld.infoseek.co.jp/clx3/zheng/02/0106a.htm
12:55 发表在 立此存照 | 查看全文 | 评论 (5)
评论
没想到石原和张藏藏有过这么一段对话.对话太长没全部看,只觉得关于南京大屠杀张讲的不错.对日本主张的杀了人是因为分不清游击队和一般百姓的区别,张提出了南京大屠杀的残忍性.张提出,日本兵用刺刀刺死婴儿并挑在刀尖上是有照为证的,这个婴儿跟游击队应该是没有任何关系的.对此,石原没有进行回答.
而在对战争赔偿问题上张的说法就不太成熟,正好授石原以把柄.张说对日本不要战争赔偿是中国的大度.而石原就借此向张上了一课,迫使张无话可说立刻转移话题.
总的来说我的感觉是石原根本没把张放在眼里,自始自终都称中国为支那,在张提出这个异议后石原还是不改口,一直到谈话结束都称中国为支那.他的理由是欧美人能叫china为什么不允许日本叫支那(china).
最后说一下,你那个软件翻译太差劲了.
发表人: 志村犬 | 星期一, 一月 15, 2007
志村君有好的建议么?这篇作为资料翻译出来其实很有意义的。
还有照片的事情不清楚,南京大屠杀非常复杂,很多证据需要专家说话。有日本人出书考订中方的照片无一可靠,在《南京屠杀》栏里有文章介绍,不知道可信性如何。从别的地方看到的,有把日军宣传亲善的照片说成是南京大屠杀证据的,又有把通州事件中照片拿来的~~
发表人: zhang3 | 星期一, 一月 15, 2007
呵呵,我没兴趣搞翻译.太长了,要花很多时间.要翻译成原汁原味得花很大功夫.
发表人: 志村犬 | 星期二, 一月 16, 2007
如果日本當初沒有"進入"中國,那多好,就不像現在這有這麼多爭辯--雄辯 及 詭辯!
发表人: faye | 星期二, 六月 10, 2008
那段對話是真的嗎
那個說不的張藏藏好像一條哈叭狗
发表人: GOGO | 星期日, 七月 06, 2008